いろんな事が原因でなくなられる方たち 死に顔は様々
私たちは、穏やかで綺麗な顔を遺族の最期の思い出にして欲しいと願い仕事をこなしています。
癌で亡くなられる方は、闘病生活でやせこけて元気だった頃の面影を失っている方が多いです。
それゆえに私のようなものが呼ばれるのですが。
激変してしまった顔をみて、遺族や対面に来た方々は気の毒で辛くてたまらないだろうと思います。
最期の顔は確かに別人みたいかもしれない、
しかし、病気と一所懸命戦い、苦しい治療も受け、愛するものたちのために生きようと頑張った故人の
生きてきた証。
いつの頃からか、その顔や姿がとても愛しく美しいとかんじるようになりました。
病のために命を失ってしまったけれど、決して負けたわけではない。
頑張りましたね、立派です、見事です、恥ずべきお姿ではありません。
まるでがいこつに皮がくっついたような痩せたお顔でも、崇高で美しい死に顔に思えるのです。
それでも、元気だった頃に近づけるよう、ご遺族にお話を聞きながら、ふっくらした顔に戻していきます。
「やっとお父さんになった」
「入院する前の顔になったね」 など喜びの声が聞かれ、それはとても嬉しいこと。
故人の、やせた別人のような顔は忘れられるでしょう。
けど、忘れないで。
まんまの死に顔も、最高に美しかったのだと。
敦子